No Man Is an Island Book Blog

世界文学を中心に読みあさっては感想を書き連ねています。素敵な本たちを中心に紹介していきます!

動物農場 by George Orwell

ジョージ・オーウェルは2作目。

前回は彼の傑作と言われる『一九八四年』を読んだ。

riza.hatenablog.com

この一作で、オーウェルが大好きになったから、別のものも読んでみたくなった。

『一九八四年』は長編小説だが、今回の『動物農場』は大分短めだ。

だから、オーウェルの作品で一番最初に読むには、こちらの方がいいかもしれない。

 

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あらすじ

飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した「動物農場」を設立した。

守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。

農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領に選ばれたが、指導者であるブタは手に入れた特権を徐々に拡大していき・・・・・・。

権力構造に対する痛烈な批判を寓話形式で描いた風刺文学の名作。

 

とにかくオーウェルはこういった作家なんですね。

批判精神の塊、特に権力とか政治とか独裁とかに対する。

場合によっては、何をされるか分からないぐらいですが、それでもこう言った作品を世に出そうとする作家、文学者ってやっぱり尊敬します。

 

内容も面白かったです。

老メイジャーというブタが、非道な人間にこき使われ働かされ、ギリギリの食糧しかもらえず常にひもじい思いをしている家畜たちの運命を憂い、打倒人類を掲げた立派な演説を披露します。

その後、老メイジャーは平和に死を迎えますが、彼の演説を確かに心に強く残したブタたちが中心となり、ある日農場主ジョーンズを動物たちで協力して蜂起を起こし、追い出してしまいます。

この時、中心となったのが、スノーボールとナポレオンというブタでした。

後にこの二匹が動物たちが守るべき「七戒」たるものを作り出し、壁に掲げます。

 

[七戒]

 

1. 二本足で立つ者はすべて敵。

2. 四本足で立つか、翼がある者は友。

3. すべての動物は服を着てはいけない。

4. すべての動物はベッドで寝てはいけない。

5. すべての動物は酒を飲んではいけない。

6. すべての動物は他のどんな動物も殺してはいけない。

7. すべての動物は平等である。

(32)

 

この七戒は、なかなかご立派で、これが本当に守られるならば、人類という敵から自分たちを守り、絶対平等な動物社会を築いていける、そう思えるのですが。

のちに、この七戒は、機会があるごとに微妙にその文言が変わっていくのです。

それは非常に恐怖ですが、読み進めていくと、あまりに自然に変化していくので、動物たちも気づけないのです。

 

基本的に、動物農場で主格となるのは、スノーボールやナポレオンなどのブタたち。

彼らは読み書きも覚え、知識も豊富であるとされます。

だからこそ、七戒を作り出すことができたのです。

そして、

 

熟考の末、スノーボールは七戒が実質的には一つの格言に還元できるのだと宣言しました。

それは「四本足はよい、二本足は悪い」というものです。(41)

 

この「四本足はよい、二本足は悪い」という言葉は、ヒツジたちがことあるごとに集団でうるさく繰り返す言葉です。

この作品で一番印象に残っている言葉の一つですね。

 

その後、反乱が起こります。

というのも、ナポレオンからするとスノーボールが鬱陶しい存在になったんですね。

二匹は相容れない存在となり、犬やらを味方につけたナポレオンがスノーボールを追い出してしまいました。

 

スノーボール追放後、動物農場はだんだんとその様相を変えていきます。

不吉な雰囲気が漂ってくるんですね。

最初こそ、人間を追い出して、動物たちだけの自由で豊かな生活が訪れると信じていた家畜たち。

しかし、結局は一部の権力あるブタたちが、今度はかつての農場主のようになっていく。

それはまさに独裁政治そのもの。

ブタたちだけが、豊かに肥えていき、働く家畜たちの元へは十分な食糧が行き渡らない。

なぜこんなひもじい思いをしているのだろう?と多くの家畜たちは疑問を抱くが、どこかでこれでいいのだ、と諦めてしまう。

否、ジョーンズがいた頃よりはマシだ、ジョーンズに戻ってきてほしいのか?というブタたちの言葉にはぐうの音も出ない。

 

やがて、その独裁的農場はどんどん悪化して行きます。

あるとき、スノーボールに加担していたとして自白した何匹かの動物たちが処刑されてしまうのです。

そんな時、恐れを感じた動物たちは七戒の一つを思い出しました。

 

6. すべての動物は他のどんな動物も殺してはいけない。

 

しかし・・・

 

クローバーはベンジャミンに、戒律の六番目を読んでくれと頼みました。

そしてベンジャミンはいつもながら、自分はそういう話には関わらないと述べると、ミュリエルが呼ばれました。

ミュリエルは戒律をクローバーのために読み上げました。

そこには「すべての動物はどんな動物も理由なしに殺してはいけない」と書かれていたのです。

なぜかはわかりませんが、「理由なしに」という言葉が動物たちの記憶からは抜け落ちてしまっていました。(101)

 

恐ろしいことです。

絶対変えられないと言われていた七戒は、ブタたちの都合の良いように変えられていた。

しかし、愚鈍な動物たちは、何かがおかしい、と勘づくのにも関わらず、結局騙されてしまうのです。

自分たちで考える力、蜂起する力が彼らにはない。

だから、独裁者が一番悪いのですが、それを許す環境も、もしかするとあるのかもしれない、というのはこういう場面から見受けられるのです。

 

そして・・・

農場は相変わらず荒涼とした感じを見せ、多くの動物たちは弱っていく中で、再びこのような場面が出てきます。

またしても、クローバーが、七戒を読んでくれ、とベンジャミンに頼むのですね。

 

今回だけは、ベンジャミンは自分のルールを破り、壁に書かれたものを読み上げてやりました。

いまやそこには、戒律が一つ書かれているだけで、他に何もありませんでした。

その戒律はこうです。

すべての動物は平等である。

だが一部の動物は他よりもっと平等である。(147)

 

さて、最後どうなるのかまでは書きませんが、オーウェルの作品らしく最後まで怖いです。

決して、希望のあるような結末にはしないんでしょうかこの作家は。

それでも、だからこそ痛烈な批判、風刺というものに徹底しているのだろうけど。

ゾッとするその結末はぜひ、読者の方たちに読んでいただきたいと思います。

 

本編の最後に、オーウェル自身の序文が収録されています。

この序文を読めば、かなり彼の書きたかったこと、言いたかったことが分かりますので、必読だと思います。

動物農場』って結局は何が言いたいの?なんの話?って背景を知らない人はそう思ってしまうかもしれない。

私も知らなければ、なんだこれは?で終わってしまった危険性がありますが、これは、ソ連社会主義スターリンの独裁政治に対する風刺小説です。

ブタの老メイジャーはレーニンを、スノーボールはレーニンの主要な部下の一人であったトロツキーを、ナポレオンはもう一人の主要な部下であるスターリンを、そして動物農場は、ソ連社会主義国家そのものを、それぞれあらわしている、のだそうです。

実際、スターリンは、トロツキーを国外追放したそうですし、国民が飢え苦しんでいる一方で、スターリンをはじめとする権力者たちはブタのように肥えふとり、権力をほしいままにしていった・・・。

まさに、スターリンソ連の辿った道を忠実にリアルにそれでいて寓話的に描いたのが本作なのですね。

 

そう考えて読むと、なかなかの凄みを増してくるように思います。

それを知らないで読んでも、恐ろしい恐怖世界の話だと感じます。

が、実際にこんなことが人間の世界で起きていたんだということ、それがつまりは独裁政治ですが、そんなことが起こっていたということを、当時の人はもちろん現代を生きる私たちも、改めて知っておかねばならないと思うのです。

 

オーウェル自身は実は、社会主義者であるということもまた、大事なポイントだと思います。

彼は、社会主義そのものを悪だと断罪したわけではない。

むしろその逆だと言います。

 

訳者あとがきより抜粋します。

まず、オーウェル自身は本書をソ連、特にスターリンによる社会主義の歪曲に対する戯画化として描いている。

でも、それは決して社会主義そのものを否定するためではなかった。

むしろ、ここで描かれたような歪曲を是正し、社会主義を正しい道に引き戻すことこそがオーウェルの意図だった。(200)

 

こう見ると、この作品は、社会主義そのものを否定した作品だ!と断言してしまうのもまた間違いなわけです。

オーウェル社会主義を理想的な社会の形であると信じていたのでしょうね、きっと。

だからこそ社会主義という名の下に、権力を振りかざして国民を苦しめるソ連や独裁者たちが許せなかったに相違ない。

また、彼は序文にて、母国イギリスのあり方にも痛烈な批判を寄せています。

 

イギリスの知識人は、その臆病ぶりと不正直さについてあれこれ理由を持ち出すだろうし、かれらが自分を正当化するときに使う理屈なんか暗唱できるくらいだ。

でも少なくとも、ファシズムから自由を守るためとかいうナンセンスはもう願い下げだ。

自由というのは何を置いても、みんなの聞きたくないことを語る権利ということなのだ。

一般の人々はいまでも、漠然とこの教義を支持しているし、それに基づいて行動している。

私たちの国では--------あらゆる国で同じではない。共和国時代のフランスではちがったし、いまのアメリカでもちがう--------自由を恐れているのはリベラル派なのであり、知性に泥を投げつけているのは知識人だ。

私がこの序文を書いたのも、この事実に注目してもらうためなのだ。(173ー174)

 

ソ連社会主義国家のみがオーウェルの批判の対象ではないのでしょうね。

実際、本書を出版するのに、多くの出版社から断られたようです。

言いたいことを言えないような言論の自由を奪われた世の中に対する怒りというのも感じられる言葉かと。

この序文は是非とも全文を読んでいただきたいですね。

 

社会主義国家は、かつてのソ連をはじめなんだか怖いイメージを持ちがちですが、だからと言って民主主義国家が成功しているとも思えない。

どちらにもメリットもあればデメリットもあるのだろうし。

政治ほど難しいものはないのではないかと思いますね。

すべての国民が平等である、ということが絶対に守られるような社会のあり方って、今まであらゆる思想家、作家、政治家、活動家たちが知恵を振り絞って話題にして考えてきたことなのに、未だにそれを実現できている国はほとんどないのですから。

個人個人の幸福というのは、社会そのものが決められることではないけれど、少なくとも経済的、物質的な安定、平等というものは約束されたいものだ。

それがあって初めて、人間は安心して夜寝られるのだから。

 

とにかく、ジョージ・オーウェルは本当に素晴らしい作家だと今回もまた改めて感じることができました。