No Man Is an Island Book Blog

世界文学を中心に読みあさっては感想を書き連ねています。素敵な本たちを中心に紹介していきます!

ボヴァリー夫人 by Gustave Flaubert

久しぶりにフランス文学を読みました。

不倫が題材の退廃的なイメージのある作品だったので、あまり読みたい度は高くなかったのですが、名作だということで。

フローベールの作品自体は初めてでした。

 

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なんか勝手なイメージで、ボヴァリー夫人は30代から40代ほどの結婚してから10年ぐらいは経っていて、子供もある程度大きくなっていて、、、とそんな女性かと思っていた。

でも実際はまだ若い設定だったし、娘も小さい。

 

不倫っていうのも、一人の相手にどっぷりハマるのかと思ってたけど、なんと2人の男と関係を持つのだ。

同時ではないけれども。

 

夫がいるけど、本気で愛する人を見つけてしまった・・・というよりかは、どっちかっていうと退屈で虚無感のある毎日に刺激を与えてくれる男性にふらっと行ってしまった・・・っていう感じの方が強かった。

だからこそ、あまり共感もできず感動もできず、ボヴァリー夫人、そりゃないぜ。となってしまったのかもしれない。

 

ただ、内容自体は面白かったので、エンマ・ボヴァリー、彼女の行動に共感はできないものの、作品は楽しく読めた。

文章が良かったのかな。

 

エンマが中心人物なので、彼女を中心に物語は進んでいくが、なんと言っても哀れなのは夫のシャルルだ。

最初こそエンマと結婚して幸せな家庭、結婚生活が始まると思ったのに、エンマは結婚早々、夫の平凡性とかに飽きてしまい全く幸福を感じられなくなってしまう。

シャルルってのが、悪い人間ではないけどどこかつまらない、退屈な男として描かれている。

田舎の医者で、名誉、地位、お金はあるんだけども・・・。

 

ただ、シャルルが結局最後まで不倫に気づかない、エンマの異変に気づかないのは、鈍感な男だな〜としか言いようがない。

エンマのことが大好きなはずなのだが、だったら普通気づくだろう!って思ってしまうが。

エンマは結構シャルルに冷淡なのだ。

敏感な男なら、不倫に気づくというより、妻からの愛情がないってことにまずは気づくのではないか?

その鈍感さもシャルルの欠点だったのかもな。

 

不倫相手というのが2人。

まずは、年下のレオン君。

書記らしい。

エンマと結構いい仲になるのだが、レオン君の押しが弱かったり、エンマも踏みとどまったりで、深い関係には至らずに終わる。

レオン君が遠くに去る事になったことで、会うこともなくなった。

 

その次に、ロドルフ・ブランジュ。

彼はレオン君とは全然違うタイプの男性。

レオン君は、年下男性らしくエンマを持ち上げるような、あなたはなんてお美しい方なんだ!みたいな態度でくるのだが、この男は違う。

もっと強引で男らしい。

だからエンマも踏みとどまることができず、その押しにいとも簡単にやられる。

男の方では、確かにエンマの美しさに心惹かれたのは事実なのだが、人妻だということもわかっているし、あくまでも不倫、遊びの範疇でしかない。

夫から奪ってやる!そこまでの思いは残念ながらない。

だからエンマの思いが大きくなればなるほど、逆に引いてしまう。

 

うまいところまで行って、とうとう駆け落ちするか!?というところまで行ったのだが、結局自身の名誉や今後の生活のことを考え、そこまでの犠牲を払う価値はないと判断し、エンマに別れの手紙を一方的に送り、逃げた。

 

傷心のエンマの前に再び現れたのがレオン君だった。

久しぶりに再会した2人、この時にはレオン君も前より積極的になっていて、恋の炎が燃え上がる!

この2人がどうなるのか、そしてボヴァリー夫人は最後どうなるのかは・・・ぜひ読んでみてください。

 

フランス文学は今まで何作か読んでいます。

もちろん作家によって作風なんかは全然違うんだけど、やっぱりその国柄というか雰囲気ってのはあると思います。

で、不倫とか退廃的で気だるい感じはフランス文学に多いな〜とよく感じています。

今作はその意味で、非常にフランス文学らしい作品だったな、と。

 

生き生きとした生命力に溢れる人間とか、希望とか、そういった要素皆無。笑

ただ、訳者あとがきに書かれていたのですが、このボヴァリー夫人の不倫の物語は、実話を題材にしているということ。

実際、ある人妻が不倫をして莫大な借金を残し・・・という事件がフランスで起こっていたのだそう。

題材としては非常に劇的なものなので、作家は作品に著したのですかね。

 

不倫にも色々あるんでしょうが、ほぼほぼ全ての不倫の末路は悲惨なものです。

ボヴァリー夫人を読めば、それが本当によく分かるでしょう。

彼女は、シャルルとの結婚に喜びを見出せず、現実逃避的な感じで不倫に走ったんです。

でも彼女には、育てるべき娘がいる。

その娘への無関心さには呆れてしまいました。

愛のない、あるいは愛の薄い結婚をしてしまったがために、その夫への尊敬も愛もない、それは起こり得ることだし、そうなってしまった場合は、相手を愛せない夫または妻はかわいそうだとは思う。

それでも、子供は違う。

子供が生まれた以上は、絶対にちゃんと育てなくてはいけないのに。

エンマは娘のことはそっちのけで、浪費して派手な生活、そして不倫。

 

彼女の生来持っている、そういった性質こそが、彼女を不幸に貶めた最大の原因なのです。

だから、彼女はシャルルと結婚してなくても、結局何処かでつまづいたのではないかと思う。

 

彼女の美しさに、夫シャルルを始め、レオン君やロドルフも惚れるのですが、本気で愛されたわけではない、これもまた悲劇。

シャルルは愛してくれたのだけど、エンマがその愛を否定しているので意味がない。

どこまでも救いのない物語でした・・・。

 

一箇所印象に残った場面より。

エンマがシャルルと舞台を観ている場面です。

 

どうして自分は、この舞台の女がしたようには、反抗し、懇願しなかったのか?

それどころか、奈落の底に身を投げようとしているとも知らずに、嬉々としていて・・・・・・ああ!初々しい美しさに包まれ、結婚生活による汚れも不倫の幻滅も知らないころに、この人生をだれか揺るぎない大きな心の持ち主に託せていたら、そのときには貞節も愛情も快楽も義務も一つになって、かくも高い幸福の頂から決して降りはしなかったのに。

しかしそのような幸福も、おそらく、いかなる欲望も叶わない絶望ゆえに考え出された嘘なのではないか。

いまの彼女は、芸術が誇張して表現する情熱の矮小さを分かっていた。(403)

 

 ロドルフから一方的に別れられ、心身ともに病んでしまったエンマが、療養中にシャルルと演劇を観に行った際に、彼女の心情がこのように語られれていました。

結婚する前は、シャルルのことを好きだと思ったし、幸せな結婚生活が目の前に広がっていると信じていた。

でも、結婚した途端に、その現実に幻滅。

自分の理想とした結婚生活はついに訪れなかった。

その絶望感がよくよく分かる描写です。

 

この部分を読むと、さすがにエンマに同情しました。

不倫は良くないことだし、エンマの放埓的な性格は決して好きになれるものではないですが・・・。

不幸な結婚をしてしまうと、その先には地獄が待っている。

シャルルは別に暴力的でも浮気性な男ってわけでもなく、ちゃんと仕事をしてエンマを大事にしている。

積極的な悪や不幸がこの結婚生活にあったのではない。

エンマが不幸に感じたこと、それは退屈とか虚無感とか平凡さとか、嫌なことがあるわけではないけど、良いことも何もない、というところからきていたものなのかもしれない。

 

それでも、やはり不幸なのは、その不幸な結婚生活を変えるすべを彼女が持たなかったことでしょう。

時代的に、離婚とかが倫理的に許されないものだったのか?

今の時代とは違うのはもちろんでしょう。

不倫以外に、何もなすすべがなかったのか?

その不倫でさえ、彼女を不幸から救うことはできなかった。

 

平凡な一夫人が破滅へと転落していくそのドラマに、結婚の儚さ、不倫の無意味さを思い知らされる作品でした。

 

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)