No Man Is an Island Book Blog

世界文学を中心に読みあさっては感想を書き連ねています。素敵な本たちを中心に紹介していきます!

キャッチ=22 by Joseph Heller

面白かった!!!!

こんなに面白いとは思ってなかったから嬉しい裏切り。

久しぶりにすごい小説を読んだ。

 

この本について知っていたことといえば、戦争小説ということだけ。

戦争を題材にした小説はいくつか読んだことがあるけど、好きになれないことが多い。

戦争って嫌なものだし、それを描く小説を「面白い」と表現するのもおかしいことかもしれないが、やっぱり面白くなくて、というか退屈で?もう戦争ものはいいやって思ってしまうことが多かった。

だから、「戦争小説」という紹介があるだけで、この小説を読むのは気が進まなかった。

と言いながらも、非常に評価の高い作品だということで読んでみた。

 

 

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あらすじ

第二次世界大戦末期。

中部イタリアのピアノーサ島にあるアメリカ空軍基地に所属するヨッサリアン大尉の願いはただ一つ、生きのびることだ。

仮病を使って入院したり、狂気を装って戦闘任務の遂行不能を訴えたり、なんとかして出撃を免れようとする。

しかしそのたびに巧妙な仕組みをもつ恐るべき軍規、キャッチ=22に阻まれるのだった。

強烈なブラック・ユーモアで、戦争の狂気や現代社会の不条理を鋭く風刺する傑作小説。

 

もともとブラック・ユーモアとか風刺系は好きなので、このあらすじを読んだら、最初の戦争小説か〜・・・という気持ちから一気に期待感が高まったけど、その期待をはるかに越えてきた。

今回読んだ文庫では、上・下巻とあるほどの長さ。

その長さにも関わらず、1時間ほど読んでて疲れたから休憩しようと思っても、次の章に入ると読むのが止められなくて、結局休憩なしでまた読み続けてしまうという感じで、どんどん読み進めてしまった。

 

主人公のヨッサリアンを始め、多くの軍人が出てくる。

その数は数えていないから分からないが、かなりの人数である。

だから、読んでて誰が誰だか分からなくなってくることもあった・・・。

あとは、内容というか構成も複雑な部分があり、必ずしも時系列で進んでいくわけではないので、そこらへんも読解が難しい。

とはいえ、面白かったのは確かだ。

 

将軍、軍医、大佐、中佐、少佐、従軍牧師、酋長、娼婦、看護婦など。

登場人物がどれもこれも個性的でぶっ飛んでいる。

まともな人間はおよそ存在しないと思われるほど。

この人物描写はすごいなと思った。

 

ヨッサリアンは、出撃に参加したくないがために、あらすじに書いてあるように仮病を使って入院したり、狂人を演じたりする。

出撃回数は、無能な大佐に何度も何度も増やされてしまう。

課されていた出撃回数を達成しても、また回数を増やされて出撃、出撃しては回数を増やされる、の繰り返し。

これじゃ、いくらたっても国に帰れない。

国のためにならなんでもする!という兵士もいるのかもしれないが、ヨッサリアンは違う。

そんなヨッサリアンを上官たちは危険視するし、狂ったやつだと見なしたりもする。

 

「オアは気が狂っているか」

「ああもちろんだとも」とダニーカ軍医は言った。

「あんたは彼の飛行勤務を免除できるか」

「できるとも。しかし、まず本人がおれに願いでなければならない。それも規則のうちなんだ」

「じゃ、なぜあいつはあんたに願い出ないんだ」

「それは、あの男が狂っているからさ」とダニーカ軍医は答えた。

「危機一髪の恐ろしさをあれほど経験したあと、まだこれからも出撃をつづけるんだ。

気が狂うのも当然さ。もちろんおれはオアの飛行勤務を解くことができる。だが、まず彼がおれに願い出なければならない」

「それだけで飛行勤務を免除してもらえるのか」

「それだけだよ。あいつに免除願を出させろよ」

「そうしたら、あんたはオアの飛行勤務を免除できるんだな」とヨッサリアンは問いただした。

「ちがうね。そうしたらおれは彼の飛行勤務を免除できないんだ」

「つまり落とし穴があるってわけか」

「そう、落とし穴がある」とダニーカ軍医は答えた。

「キャッチ=22だ。戦闘任務を免れようと欲する者はすべて真の狂人にはあらず」

たったひとつだけ“落とし穴(キャッチ)”があり、それがキャッチ=22であった。

(中略)

オアは気が狂っており、したがって彼の飛行勤務を免除することができる。

彼は免除願を出しさえすればよかったのだ。

ところが願い出たとたんに、彼はもはや狂人ではなくなるから、またまた出撃に参加しなければならない。

オアがもしまた出撃に参加するようなら狂っているし、参加したがらないようなら正気だろうが、もし正気だとすればどうしても出撃に参加しなくてはならない。

もし出撃に参加したらそれは気が狂っている証拠だから、出撃に参加する必要はない。

ところが、出撃に参加したくないというなら、それは正気である証拠だから出撃に参加しなくてはならない。(上巻85ー86)

 

なんとしてでも出撃を免れたいヨッサリアンが、ダニーカ軍医に問いただす場面だ。

オアというのは、結構な重要人物であり、ヨッサリアンの兵士仲間である。

オアもなかなかぶっ飛んだ人物で、狂人的な言動が目立つ男だ。

ヨッサリアンも多少狂っているのだろうが、彼は戦闘を拒否するという点では正気なのだろう。

そんな彼が、なんとか自身の出撃拒否を認めてもらおうと、ダニーカ軍医と交渉する。

ヨッサリアンは自分が狂っていることを証明しようとするがなかなかうまくいかない。

そこで、オアという狂人として罷り通っている仲間を例に出して、いかにして出撃を免れるか試している、そんな場面だ。

しかし、結果が上記の通り。

キャッチ=22ってのは軍規のことらしいが、そんなものは実際存在しないとも言う。

この矛盾に満ちた軍規のために、兵士たちはどんな手段を用いてでも戦闘から逃れられないのだ。

 

メイジャー・メイジャー・メイジャー少佐(メイジャー)が出てくる章もなかなかの狂いっぷりだ。

彼は、父親から冗談半分でとんでもない名前を授かった。

その結果、彼の母親は生きる気力を失い世を去ってしまった。

メイジャー少佐自身も、惨憺たる人生を歩んだ。

なぜに、彼の人生をここまでひどいものに描いたのだろうと、作家に聞いてみたくなるぐらい彼は嫌われ、疎まれ、拒否られた。

メイジャー少佐は別にそこまで人から嫌われるような人物には思えなかったのだが。

メイジャー少佐がメインで出てくる章は、そういう点ですごく辛いものだったが、一ヶ所大笑いしてしまった。

 

だが、彼らが見いだし得る処分の方法はとなると、彼を一兵卒として軍隊に送りこみ、四日後に少佐にして、その結果ほかに考えることのない国会議員たちが、〈だれがコック・ロビンを殺したの〉の節に合わせて、「だれがメイジャー少佐を昇進させた。だれがだれがメイジャー少佐を昇進させた」と歌いながらワシントン市の通りをせかせかと行き来するような状態を作り出すことしかなかった。(上巻163)

 

メイジャー少佐はとにかく嫌われたが、それは周りの人物からというより、国そのものに嫌われていたような書きぶりだった。

FBIからも敵視され、彼を処分できるような段階になったそうだが、その処分の方法というのが上記の通りだったという。

本作を読んでいない人からしたら、よく分からないだろうが、ここまで小説を読み進めてきた私でもよく分からない内容だった。

で、どこに笑ったかというと「コック・ロビン」の部分だ。

この歌の出典はマザーグースだが、私がこれを知っていたのは漫画パタリロ!のおかげだ。

パタリロ!の中で、パタリロがしょっちゅう「だれが殺したクック・ロビン!」と歌う場面が出てくる。

わけのわからない歌だな、とずっと思っていたが、こんなアメリカ文学にも出てくるほどの有名な歌だったということを今更知った。笑

パタリロ!が好きな人なら絶対に見逃せない箇所である。笑

 

ヨッサリアンは、気が触れたような言動もあることはあるが、彼が戦闘に参加したくないと感じるのは、当然と言えば当然ではないか。

そんな中で、彼の言動に心動かされるものもたくさんあった。

例えば、

 

「神の働きに不思議なところなんてなにもありゃしないんだから。

神は全然働いてなどいない。

遊んでるんだ。

さもなきゃ、われわれのことなんかすっかり忘れてしまっているのさ。

きみたち一般の人々が語っているのはそういう神さまだよ ー いなかのかぼちゃ野郎だ、気のきかない、ぶきっちょな、脳たりんの、きどった、野暮な田吾作どんだ。

やれやれ、自分の聖なる創造の体系に痰だの虫歯だのといった現象を含めることが必要だというような至高の存在に、きみはどれだけ崇敬の念を持ち得るのかね。

年寄りから自分でうまく排便する能力を奪うなんて、神さまのねじくれた、邪悪な、不潔不浄の心にはいったいどんな考えが走っていたのかね。」(上巻337)

 

 ヨッサリアンが無神論者であるということがよく分かるセリフである。

神への不信、そしてその激烈な物言いは、

riza.hatenablog.com

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を彷彿とさせるものがあった。

そして私は上記2作品が大好きなので、やはり好きな作品には通じるものがあるのかもしれない、と思った。

しかも、「ライ麦畑でつかまえて」の原題は"The Catcher in the Rye"ではないか。

CatcherとCatch。

Catchという言葉には何かすごい力が宿っているのかもしれない。

 

世の中の全てが嫌になり、常に文句を垂れて生きるさまは美しくないし、幸せでもないだろう。

それを全て神への怒りに委ねるのも違うのだろう。

しかし、神を信じるもの、神を信じることが良きこととして育ってきたものとしては、現実世界のあらゆる不条理や不幸、ましてや戦争の真っ只中にいる世界で最も恐ろしく醜い現実を見せつけられては、神への感謝など持ち得ないのではないだろうか。

それでも神を信じる、という敬虔な信者もいる。

従軍牧師がその例になるのだろうが。

だが、現実世界の悲惨さを目の当たりにした時に、神を信じることが不可能、どうしてもそこには無理がある、その限界を覚えるものが出てきても決して不思議ではない。

ヨッサリアンが、神を罵倒することが素晴らしいと思うのではない。

人間の醜さや苦しい人生や世界を憂えて、その現状をどうしても肯定できないからこそのこの発言だと思う。

そもそも神を信じていないものにとっては、神などいない、当たり前だ、で済む話かもしれない。

だが、神がいるということを信じて生きてきたものにとって、戦争がどれだけその信仰を打ち砕くものなのか、彼の神への不信や罵倒は、神そのものへの罵倒というよりは、人間、いや、戦争を生み出す人間への究極の断罪なのだろう。

 

本作は各章に分かれているが、章は数字で表されているのではなく、各章に名前がついている。

そしてそのほとんどが、誰かの名前だ。

 

ダニーカ軍医、ホワイト・ハルフォート酋長、ハングリー・ジョー、マクワット、シャイスコプフ中尉、メイジャー・メイジャー・メイジャー少佐、ブラック大尉、キッド・サンプソン、ルチアナ、キャスカート大佐、ドリードル将軍、マイロー、アーフィー、ドブズ、ペケム、ダンバー、ダニーカ夫人などなど・・・。

これらが、各章の名前になっている人物たちの一部だ。

登場人物はこの倍は居ると思われる。

章に当てられた名前の人物がその章でメインに語られる場合もあれば、章の名前の人物はほとんど出てこなくて、結果全然別の人物がメインで語られる場合もあって、なんで、この章はこの人物の名前なんだ?!と不可解なこともあったが、それはそれで面白いことなのかな。

何はともあれ、各章ごとに兵士を中心とした人物たちの人生や言動が単独で書かれていることもあれば、ヨッサリアンとの関係というか対話で書かれていることもある。

まあ、どんな形であってもおかしな人たちの集まりであることに相違はないのだが。

 

こんだけ登場人物たちがたくさんいればお気に入りの人物が出てきてもおかしくはない。

当たり前すぎだが、一番好きなのはヨッサリアンだ。

あとは、従軍牧師も結構好きだ。

あと一人、すごい人物がいるが、これは書いてしまうと面白くなくなるので控えておこう。

読んだ後に、その人物が出てくる場面を読み返して、その発言の真意を探ろうとしたくなるような、そんな人物がいる。

これも、この小説の凄いところかもしれない。

読んでいる間は気づかなかったことが、最後に明らかにされるっていうのは、ミステリー小説で最後に謎が解かれるようなそんな結末にも感じられた。

 

あまりどんなことが書かれているかを詳細に書いてしまうと、面白く無くなってしまうので控えめにしておきたい。

戦争小説ではあるのだが、戦争というか戦闘の描写がひたすら続くっていうようなものではない。

ていうか戦闘シーンはほとんどない。

むしろ人物描写が中心となっていると言って良いだろう。

戦争が人を狂わすのか、人の狂気をさらけ出すのが戦争なのか。

戦争だけにとどまらず、社会の不条理を暴き出すことも本作の一つのテーマなのかもしれない。

冒頭で言ったように、ブラック・ユーモアに溢れた作品だ。

だから、書いてある内容は非常にきついものだが、心が重くなってくるような小説ではない。

かと言って戦争を面白おかしく書いている、というわけでもないな。

そこがブラック・ユーモアの最強たる所以であるかもしれない。

戦争っていう悲劇を面白く描くのは不謹慎だろうが、かと言って堅苦しくガチガチの文体で書かれると多くの人は敬遠してしまうだろう。

戦争の中の狂気であれば、ブラック・ユーモアで表現することも可能ということか。

ま、とにかく戦争をこんな風に描ける作家ってなかなかいないのではないだろうか。

 

本作、最後の方に怒涛の描写がある。

今回読んだこちらでは下巻に当たる。

章のタイトルは「永遠の都」。

この章は他に比べて若干長めだが、全ての部分を切り取って紹介したいぐらい凄い部分だ。

一部だけ書いておこう。

 

ヨッサリアンはその少年の貧しさに対して非常に強い同情の念に駆られたために、いっそその蒼白く、悲しげで、病人みたいな顔を拳で殴り倒し、少年をこの世から消してしまいたかった。

なぜならその少年は、その晩イタリアにいる、やはり散髪と靴と靴下とを必要としているあらゆる顔蒼ざめた、悲しげな、病人みたいな子供たちのことを彼に想い起こさせたからである。

(中略)

なんといやらしい世の中だろう。

彼はこの同じ晩に、繁栄を誇る自分の祖国においてさえ、どれだけの人々が窮乏に苦しんでいるだろう、どれだけの人々が掘っ立て小屋に住んでいるだろう、どれだけの夫が酔っぱらい、どれだけの妻がぶん殴られ、どれだけの子供たちがおどかされ、虐待され、捨てられているだろう、と考えた。

どれだけの家族が、とても買う余裕のない食べものを飢え求めていることだろう。

どれだけの心臓が破られていることだろう。

この同じ晩にどれだけの人々が自殺を遂げ、どれだけの人々が発狂していることだろう。

どれだけの悪徳商人や家主どもが勝利をおさめているだろう。

どれだけの勝利者が実は敗者であり、成功者が失敗者であり、金持ちが貧乏人なのであろうか。

どれだけの知ったかぶり屋がまぬけ野郎であろうか。

どれだけの幸福な結末が不幸な結末なのだろうか。(下巻338)

 

 ヨッサリアンは、とうとうマイローという兵士とともに軍隊を逃げ出す。

このマイローという人物が、また非常な悪者であるのだが。

ヨッサリアンは、戦死した兵士仲間が付き合っていた娼婦のまだ幼き妹が、戦火の中で逃げ惑っていることをさとり、マイローに救出の協力を依頼する。

マイローは、途中まで協力的であったにもかかわらず、闇煙草密輸のチャンスを得た途端、狂ったように興奮してヨッサリアンをその場において去ってしまう。

マイローは金の亡者であった。

置いてけぼりにされたヨッサリアンが、ローマの戦火で荒廃した街を歩いた時、一人の裸足の少年を見つけた。

上記は、その少年を見つけた時のヨッサリアンの心情である。

この「永遠の都」は、本作のクライマックスと言って良い場面だと思う。

この部分は、小説の終盤になるが、この場面を描くためにそれまでの長い長い描写があったんじゃないか、そう感じるぐらい重要な場面であった。

ブラック・ユーモアで彩られた戦争の狂気を描いた本作。

戦争が生み出す狂気、人間の狂気、そんな描写が次から次へと溢れ出て、一番正気だと信じたいヨッサリアンでさえ、なんだか不安を感じる人物。

そんな風に読んでいた私は、まさか終盤にこのような描写に出会えるとは思わなかった。

それまでは、強烈な風刺で面白い!と思いながら読んでいたのだが、この章を読んで、ああ、この作家は本当に戦争を憎んでいるのだな、この小説は単なる流行ものの戦争小説ではなく、本当の文学であり、真の古典なのだな、そう確信を持つことができたのだった。

 

そして、この章の先にもまだ話は続く。

果たしてヨッサリアンはどうなるのか。

ぜひ、読んでいただきたい!

 

この小説はなんといってもその結末にアッと言わせられる。

なので、絶対に!ネタバレは読まないで本作を読んだ方が良いだろう。

 

とにかく本当にすごい小説だった。

きっと難しいだろうが、次は原文で読んでみたい。

時系列がバラバラだったり、複雑な部分が多いということで、一回読んだだけでは、十分理解できたとも思えない、だからこそもう一度読みたい。

全てを知った上で、もう一度最初からこの本を読んだ時に、おそらく倍の感動があるだろうと思う。

久しぶりにここまでのすごい小説に出会えて感動である!

 

キャッチ=22〔新版〕(上) (ハヤカワepi文庫 ヘ)

キャッチ=22〔新版〕(上) (ハヤカワepi文庫 ヘ)

キャッチ=22〔新版〕(下) (ハヤカワepi文庫 ヘ)

キャッチ=22〔新版〕(下) (ハヤカワepi文庫 ヘ)