No Man Is an Island Book Blog

世界文学を中心に読みあさっては感想を書き連ねています。素敵な本たちを中心に紹介していきます!

ビラヴド by Toni Morrison

アメリカの作家トニ・モリスンによる作品。

1987年出版。

1988年ピューリッツァー賞受賞。

 

黒人作家として初めてノーベル文学賞を受賞した女流作家である。

 

あらすじを抜粋にてご紹介。

 

『ビラヴド』 ー 忽然と現れた謎の若い女はそう名乗った。

女の名は逃亡奴隷のセテが、自らの手で殺した娘の墓碑銘〈ビラヴド(愛されし者)〉と同じだった・・・・・・。

南北戦争前後の時代を背景に、黒人女性の半生を通して、黒人奴隷が自由の意味を知り、自由を獲得するためになめた辛酸を壮大なスケールで描いた愛と告白の物語です。 

 

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センセーショナルなあらすじから、読むのはちょっと身構えたが、重厚な内容で読み応えは非常に大きかった。

奴隷を扱った作品は今までいくつか読んでいるけど、毎回重さを感じて読むのは決して楽じゃない。

それでも、こういった作品を読むことで、奴隷という歴史がいかに人類史上最悪の出来事の一つであったかを知り、未来の自由と平等の世界のために考え行動するきっかけになることも事実。

日本人としては、遠い国で起こった身近な問題ではないものの、世界との関係が近い現代においては読んでおきたい一冊であると感じた。

 

奴隷や黒人の人種差別を描いた作品はいくつか読んできたが、それは全て白人が書いたものだ。

ゆえに、黒人作家が描く黒人奴隷を扱った作品というのは初めて読むもので、それは非常に意味のあることなのではないかと思う。

モリスンは、奴隷制度に苦しんだ全ての人々へ捧げる鎮魂歌としての役割を本作に与えたのだという。

今でこそ奴隷制は廃止されたが、過去の歴史を背負う人々のことを考えて書かれたものだと言って良いだろう。

 

逃亡奴隷の女性セテは、息子二人と娘二人を持つ母親であったが、逃亡の末、一人の娘を手にかけることとなってしまった。

あるところまで逃亡はうまく行っていたが、奴隷主の追跡にあい、引き戻される危険が迫った時、彼女は娘を殺したのだった。

一体なぜ?

セテ自身は、奴隷として様々な苦難を耐えてきた。

肉体的にも精神的にも想像を絶する苦しみを与えられてきた。

女性として、辱めを受けたこともあった。

そんな苦しみを愛する娘にはさせられない。

彼女からすれば、奴隷として生き地獄を味わわせるくらいなら、幼いまま死んだほうがマシだという考えのもとだったのかもしれない。

奴らに苦しめられるぐらいなら、自分で殺してしまったほうが良い、と。

しかし、彼女の殺人がどこまで冷静な状況で行われたかと考えるとわからない。

実際は冷静な判断ではなく、追っ手により平穏が脅かされ、とっさに犯してしまったことなのかもしれない。

 

彼女が殺したのは娘一人だけ。

息子二人と残りの娘デンヴァーとはその後も生活を共にする。

しかし、彼女の行動は周りの黒人仲間たちからは非難の的となり、彼女はコミュニティでも孤立する。

息子二人はそんな生活に嫌気が刺したのか、家出。

セテはデンヴァーと二人で赤子の幽霊が住まう家で日々過ごしていた。

そんな日々を過ごしてきた彼女の元に、かつての知り合いポールDが現れる。

彼も奴隷として様々な苦しみを味わってきた男性だ。

セテは、ハーレという男性と結婚していたが、彼は逃亡の際にはぐれそのまま行方知れず。

今は女手一人で娘を育てるセテの元に、ポールDは現れた。

彼は、かつてセテに愛情を抱いたこともあり、徐々に二人は心を通わせ、傷ついた心を互いに癒していくような、そんな関係を築いていく。

ポールDは温厚かつ頼り甲斐のある男性でもあるが、娘デンヴァーは彼の存在を快くは思っていなかった。

セテを取られるような、子供としての不安も大きかったのかもしれない。

 

ポールDの存在により、セテは生きる希望を取り戻していく、前半はそのような印象を受ける流れだった。

しかし、その生活も突然現れた謎の娘、ビラヴドによって破壊されていく。

 

ビラヴドの存在は、やがてセテと良き関係を築きかけていたポールDの裏切りを誘発し、やがて彼はセテの家から出て行かざるを得なくなる。

また、スタンプ・ペイドというシンシナティの黒人社会の指導者で、セテの逃亡も助けた人物がポールDに、セテの娘の殺害の事実を伝えたことが最大の引き金となって、ポールDとセテの関係は終わってしまった。

 

自分がその命を奪ってしまった、我が娘の生きた亡霊がビラヴドなのか?

彼女はポールDを追い出し、セテからの愛情を貪るように吸い取り、やがてセテは衰弱していく。

まるで甘やかされた、甘やかされすぎた子供のように、わがままで暴虐的にすらなっていくビラヴドに、セテはなすすべを失う。

デンヴァーだけが、ビラヴドの狂気に気づき、母親を必死で守ろうとするが・・・。

 

物語が進行していく中で、セテ、ポールD、ハーレの母親(セテの義母)であるベビー・サッグスらによる、奴隷として生きた地獄の日々の独白も挿入される。

本作で最も印象深いのはこれらの登場人物たちによる独白の部分だった。

力強く、逞しかったベビー・サッグスも、セテの娘殺害にはショックを隠しきれず、疲弊しきってしまった。

最後は、廃人にすら近いほど無気力となり、そのまま亡くなってしまった。

 

奴隷としての辛酸を味わい尽くした後での、家族の過ち。

セテの殺害の行為は、決して許されるものではないだろう。

彼女にしか分からないその行動の真意。

セテの娘殺害の事実を知ったポールDは、彼女へ抱いていた愛情を失ってしまったのか。

男には理解しがたい何かが、母親であり、女性であったセテにはあったのか。

様々なことを考えずにはおられないそれぞれの人物たちの心理や言動が詰まっていた。

 

ベビー・サッグスは、ガーナー夫妻の農園で奴隷として働いていた。

奴隷制度自体、良くない事であるが、奴隷主の奴隷に対する対応は千差万別で、人間として扱う主人もいれば、家畜同然あるいはそれ以下の残酷な扱いをする主人らも大勢いた。

ガーナー夫妻は、その中ではまだ、マシと言える部類ではあった。

しかし、当然奴隷としてそこに住んでいる人間たちに、本当の意味での自由や幸福はない。

彼女の心の声が痛切に響く。

 

ガーナー氏が、ベビー・サッグスを交え、白人の奴隷廃止論者であるボドウィン兄妹と話す際の場面である。

 

「わたしたちは奴隷制度には絶対に賛成しません。

たとえガーナーさんのやってるような奴隷制度でも」

「この方たちに言ってくれ、ジェニー。

わしの農園に来る前に、わしのとこより待遇の良い農園に住んだことがあるか」

「いいえ、だんなさま」彼女は答えた。「ありませんでした」

スウィートホームにはどのくらいいたかね?」

「十年、だと思います」

「ひもじい思いをしたことは?」

「ありません、だんなさま」

(中略)

「わしはハーレがおまえを買い取ることを許したかい、それとも?」

「はい、おゆるしになりました」

答えながら、ダケド、アンタハワタシノ息子ノ所有者ダシ、ワタシハスッカリボロボロニナッテル、と考えていた。

ワタシガ主ノ御許ニ召サレタズット後マデ、息子ヲヨソニ賃貸シシテ、ワタシノ支払イヲサセルクセニ。(280)

 

ボドウィンの妹が、奴隷制度に反対と述べた際に、ガーナー氏は、自分の行う奴隷制度は人道的で、正しいものだとでも言いたかったのだろう。

それに応えるジェニー(ベビー・サッグス)だが、内心では主人への憎しみとすらとれる感情が渦巻いていた。

暴力や陵辱、他の奴隷が味わってきた地獄は、ガーナー氏のもとでは免れた。

しかし、彼女はそれ以前の人生で苦難をすでに生きていたのだから、これ以上どんなに温和な主人のもとであろうとも、奴隷として生きることに疲れ果てていた。

 

印象的な場面のもう一つがポールDの過去の場面だ。

彼は、奴隷として白人たちから非道な扱いを受けた人物の一人だ。

彼らは、奴隷たちが動物や自然の美しさに喜びを覚えたり、感動したりすることを許さなかった。

力では、奴隷たちに及ばないようなひ弱な白人でも、銃という武器を持って常に奴隷である彼らを威嚇し、暴力に頼っては彼らの自由を奪い、心を破壊する機会を決して逃さなかった。

 

だからこちらは身を護り、ささやかに愛した。

大空からいちばんちっぽけな星を選んで、自分のものにした。

眠りに入る前に、溝のへりの向こうに、愛するものが見えるよう、頭をねじって横になった。

朝の鎖づけのとき、木立のあいだにかかるその星の姿を、はにかむように盗み見た。

草の葉、サソリ、クモ、キツツキ、カブト虫、蟻塚。

それ以上大きなものは対象にならなかった。

女、子供、兄弟 ー ジョージア州ルフレッドでそんな大きなものを愛すれば、躰が真っ二つに避けてしまったのだ。

ポールDにはセテの言いたいことがぴたりとわかった。

愛そうと望み選んだものを、愛することができる場所 ー 欲望を持つのに許可など要らない場所にたどり着くこと ー そうだ、それこそ自由だということを、彼は知っていた。(309ー310)

 

自然や生物を愛することすら命がけ。

喜びや幸せを感じることは隠さねばならず、少しでも楽しそうにしていると打たれるような生活。

そんな扱いは、家畜ですら受けないのではないか。

愛したいものを愛することも許されない。

小さなものを、愛していることを決して知られないように、静かに愛するしかない。

そんな悲しみを生涯味わった人々を思い、本当に苦しい気持ちを抱いた。

 

どんな人間でも、そんな扱いを受けてはならないし、受けていい理由など存在しない。

しかし、こんな苦しみを味わった人々が実際に存在したのだ。

しかも、それは何世紀も前の人間が野蛮であった時代ではないのだ。

奴隷の歴史は、まだ浅い。

人種差別は現在進行形である。

愛するものを、自由に愛せる人たちが果たして世界にはどれだけいるか。

そう考えると、普段私たちが家族や友人、自然や動植物などを愛でることができることがどれだけ素晴らしく、貴重なことかが身に沁みてくるかもしれない。

当たり前のことだが、当たり前にならなかった人々がいたということを知れば。

だから、私たちは今、愛せる人、ものを、真剣に愛し、愛せることに感謝することだ。

自由に愛せるような状況においてでさえ、愛を持てなくなっている人が多い悲しい世界もあるけれど。

 

ビラヴドはなぜ現れたのか、傍若無人になった彼女が最後に残したメッセージとは何なのか。

自力ではもはや立ち上がれなくなったセテを、デンヴァーは果たして救えるのか。

ポールDは、セテのあやまちを許し、彼女と未来を紡いでいけるのか。

セテの苦しみを知りながらも、彼女のあやまちを許すことができず、彼女を冷遇していた黒人コミュニティの仲間たちはセテを許せるのか。

 

ビラヴド、という人間なのか亡霊なのかその間のような存在が訴えかけてくる物語は、奴隷の暗い歴史だけではなく、母と娘の人間関係や、男と女の関係、家族やコミュニティの関係など、人間関係にフォーカスされた重厚な内容となっている。

人間の犯す罪が、ビラヴドという狂気の存在によって浮き彫りなっていくような印象を受けた。

 

ポールDは、セテの罪を一緒に背負うことはおそらく出来ない。

ビラヴドの妖しい魔力に圧倒されてしまう、そんな弱さも垣間見えたが、ポールDの人生の暗さを味わい尽くしながらも、人間的であることをやめなかったことに救いを感じた。

完璧な人間ではないが、私は彼の性格は結構好きになれた。

 

ビラヴドの登場により、母親との関係が危ぶまれたデンヴァーが、母親のために勇気ある行動に出ることも非常に意味ある展開だ。

何かを変えるためには、だれかが行動を起こさなければならない。

セテの人生には関わりを持たないようにしていた黒人たちが、デンヴァーの行動で、結束してくれたのだから。

 

奴隷制度は過去の歴史ではあるが、その系譜は終わっていない。

今でも多くの人種差別は存在しているからだ。

そんなことがあったのか、人間同士でそんな醜い争いやいじめを行なっていたのか、なんて残酷で野蛮な時代もあったことだろう、全ての人類が過去の行動に言語を絶してしまうほど衝撃を受けるような平和と自由の時代が、早く来ればいい。

その時に初めて、犠牲になった人々の苦しみは、少しずつ浄化されていくのかもしれない。

 

ビラヴド (集英社文庫)

ビラヴド (集英社文庫)