No Man Is an Island Book Blog

世界文学を中心に読みあさっては感想を書き連ねています。素敵な本たちを中心に紹介していきます!

サリンジャー ー成熟への憧憬 by 利沢 行夫

サリンジャーの作品を他のアメリカ文学作品と比較しながら書かれている本だ。
アメリカのアダム、というのがアメリカ文学には象徴的らしい。
クーパー、メルヴィル、フォークナー、ヘミングウェイが主に出てきた。
ヘミングウェイの『老人と海』や、他の作家の作品でも、主人公は敵・自然と戦う。
それまでに修行を積み、精神の師となる存在の元で成長していく。
それに対して、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンには精神の師がいない。
子供と大人の半分のような存在であり、危なっかしい彼は兄D.Bを頼るが、ハリウッドへ行ってしまったため、兄は自分の求める世界の住人ではなくなったとして頼れなくなってしまう。
次はアントリーニ先生だ。
信頼していたが、アントリーニ先生の言葉からも、深い意味を理解できなかった。
アントリーニ先生のホールデンの頭を撫でる行為は、他の解説本の中では、大人が子供を救う時、直接触れてはいけない、というものがあったが、本書では特に新しい解釈は書かれていなくて残念だ。
人生の敗者側のホールデンは、同じく敗者のスペンサー先生に共感はするが、憧れはしない。
どこにも精神の師を見出せないからこそ、ホールデンは他のアメリカ文学に出てくる男たちのように強さや女や金や名声を欲することもない、弱い存在に見えるというが、そもそもサリンジャー上記のものなど全く価値のあるものと考えていない。
サリンジャーが求めたのは人間同士の愛である、と。
それこそ、ホールデンが最も強く求めたものだった、と。
赤いハンチング、赤毛のアリーとのつながり。
誰も信じられないホールデンも、唯一弟のアリーのことだけは信じられた、そして深く愛せた。
だからこその赤いハンチングなのだ、と。

アントリーニ先生の場面は私もずっと不可解である。
同性愛者ということを言いたいのか?それとも別の意味があるのか?
大人は、とかく子供を押さえつけようとするの意味か?
しかし、アントリーニ先生は優しく撫でただけなのだ・・・。
ホールデンも後から飛びたしたことを後悔するし。
うーん、ここはやっぱり一番謎の深い場面だな〜。

フィービーを助けようとしているホールデンだが、実は助けを必要としているのはホールデン自身であって、フィービーは実はホールデンよりも大分、精神的に大人なのだ。
とまあ、様々『ライ麦畑でつかまえて』の解釈がされてあり、面白かった。

後半は、『ナイン・ストーリーズ』や『フラニーとゾーイー』など『ライ麦畑でつかまえて』以降の作品の解説となっており、こちらも楽しい。

ホールデンは私が思っていた以上に危なっかしいのかも。
彼こそ、ライ麦畑の崖から落ちかけているんだね。
もっと理解したいからこれからも読んでいこう。

本書では、『ハックルベリー・フィンの冒険』のハックと、ホールデンは似ているどころか対照的だとなっていた。
なんと!!!
ハックは、図太さがあるし、ホールデンほど繊細じゃない。
危機的状況でも、人を出し抜き、逃げ延びる生来の英知を持っている。
ホールデンには欠けている部分だ。
モーリスとサニーのシーンがそれをよく表している。
力もないから、泣いてひれ伏すしかなかった。
その弱さや、純粋さってものは逆にハックにはないものだ。
自由への逃走を続けている点では、両者は通じているのだが、実はその性格はまったく異なるものなのである。

サリンジャー―成熟への憧憬 (1978年) (英米文学作家論叢書〈29〉)

サリンジャー―成熟への憧憬 (1978年) (英米文学作家論叢書〈29〉)