The journal of everything

読書記録を主に綴っていきます^^

No.109 ジェーン・エア Charlotte Brontë / Jane Eyre

この作品を読んだのは、4年ほど前であるが、その当時残していた手記をほぼそのまま記すとしよう。
本当に素晴らしい作品だから、ぜひ読んでいただきたいが、結末は絶対知らない方がいいので、未読の方は読まないことをおすすめします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この作品を読んだのは、9月13日の金曜日であった。
今日は19日なので、読み終えてから6日経ったが、未だ感動はさめやらず、魂は感動で打ち震えているままだ。
私は〇〇年生きてきて、それはそれはたくさんの書物に出会ってきた。
素晴らしいものもあれば、面白いものもあり、泣くほど感動するものもあれば、悲しいものもあり、残念ながらあまり感心しないものもあれば、読んだ時間を返してほしい!と思うぐらいの駄作もあった。
今まで私の最も愛する本として不動の地位を確立していた作品は、『ライ麦畑でつかまえて』だった。
中学1年の時に読んでから、私が人生で最も感動した作品としてずっと心にあった。
何度も読んだし、あまりに感動したので、原作でも読んだ。
私は無類の読書好きだが、同じ作品を何度も読むことは、よほどその作品が好きでなければ、その作品に魂を揺さぶられなければ、しない。
またいつか読もう、程度になら思う本はいくらもあった。
しかしこの本はいつも傍らに置いておかなければならない!そう強く思える本は『ライ麦畑でつかまえて』ぐらいだった。
もちろん、それ以外にも何度も読んだ作品や、好きな作品はあることはある。
でもどんなに大作だ、傑作だ、文学史に残る名作だ、言われるようなものでも、何度も読もう!原作が英語なら原作で読もう!今すぐ手に入れよう!とまで思えるものはごくごくわずかなのだ。
魂が震えるまでの感動というのは、滅多と来ないのだと確信していた。
そして、『ライ麦〜』を超える作品は、残念ながらないだろうし、もう出会うことはない、そうかたくなに信じて疑わなかった。
しかし、やっと本題に入るのだが、この『ジェーン・エア』は私のその確信を一気に揺るがしてしまった!
ジェーン・エア』が『ライ麦〜』以上に素晴らしい作品だ!と言いたいのではなく、『ライ麦〜』が私に与えてくれた魂が打ち震えるような感動を与えてくれる作品に、10年ほどしてやっとまた出会えた!という感じである。

ライ麦〜』、その衝撃は本当にすごくて、何度もそれから読んだくらいで、常に傍らに置いておきたいと思えた作品である。
すぐに原作で読んだくらいだ。
で、13歳で読んで、〇〇歳になるまでの間『ライ麦〜』を超える作品とは一度も出会っていなかった。
何百冊かと読んできたのにもかかわらずだ。
なので、私の中で『ライ麦〜』こそ私の人生の教本、バイブルみたいなものと化してたので、それ以上のものに出会えるとは到底思ってなかった。
でも出会えた。

ジェーン・エア』、1840年代に書かれた作品である。
正直、私はこの作品にそこまで期待していなかった。
あらすじは知っていたので、孤児ジェーンが、大人になり家庭教師となり、ある館に雇われる、そしてそこの主人と結ばれるまでを描いている、というあらすじ。
ありきたりといえばありきたりだし、そのあらすじを読んだだけではとても、この感動は想像できなかった。
加えて私は妹エミリーの『嵐が丘』をすでに読んでいたが、私は『嵐が丘』には、なぜかかなり期待していた、絶対面白いし、絶対感動するわ!という予感・・・。
その期待は裏切られはしなかったが、期待以上でもなかった。
ささっと読み終えた私は、そそくさと次に読む作品へと移っていた。
エミリーの作品の感動がその程度であったこと、また私は強くたくましく生きるヒロインってものがなぜか苦手で、(なんででしょうか?)あまり感心しないというか、共感できないというか、なぜかそう思ってしまっていた。
文学に出てくる女性ってろくなのがいないし・・・。
それもあってか、強いヒロイン、ジェーンという主人公の作品はきっと私には気に入らないだろうなと思っていた。
しかし名作で有名だし、まあ読んでおこうってことで読み始めたわけだ。

最初は正直、上・下でかなり長いし、辛いかも…と思っていた。
最初の部分は、ジェーンが孤児でリード夫人に虐げられている場面、その子供らからも差別される場面とが続き痛ましい。
そののち学校に入れられるが、そこでも厳しい生活が待っていた。
しかし、ヘレンという清い友人と出会いそれが作品の大きな転換となっているように思えた。
ジェーンが幼いころからの描写も私は十分楽しめたが、まだこの時点では並みの作品程度。
私の興味がそそられるのは、ジェーンが館に家庭教師として雇われてからなのである。
そう、そこの主人ロチェスターと出会うところからがこの小説の本当の始まりなのだ。
この館の主人と結ばれるってあらすじで知っちゃってたが、そこは知らないほうがよかった気もする。
ジェーンとロチェスターのやりとりを読んでて、いつのまにかこの二人が惹かれあっているのだが、その流れがとても自然で、私はえ?いつのまに?と思うぐらいであった。
いつのまにジェーンも、ロチェスターもこんなに思い合うようになったのかしら。
それが全く無理矢理でもなく、あくまで自然であること。
そしてこの二人の思い合う姿があまりにも素敵なので、どんどん物語に引き込まれていき、上巻の後半は一気に読み終えてしまった。

そしてイングラム嬢の登場やら、なにやら娯楽要素もありで、全く飽きることなく下巻へ突入したが、最初こそ長いな~と思ってたにもかかわらず、下巻はわずか1日で読み終えてしまった。
ロチェスターに去るように言われて打撃を受けたジェーンが想いを告白し、またそれに応えロチェスターもプロポーズする。
もう恋愛小説でこんなに胸が高鳴ったのは初めてだった!!!

ほんとに!胸キュンとかよく言うけど、私は今まで恋愛ものを読んでも全く胸キュンなどしなかった。
感動できなかった。
そんな私がロチェスターのジェーンへのふるまい、対応、そしてジェーンが溶けてしまうぐらい喜んでいる描写に、もう私は自分が恋している勢いであった。
いや、私は読んでる時、完全にジェーンに乗り移ってロチェスターに恋していたと言ってもいいぐらいである。
それほど彼は魅力ありすぎの人間なのだ。
しかし・・・。
幸せの絶頂からジェーンはたたき落とされてしまう。
ロチェスターの秘密が発覚し、ジェーンは彼のもとを去るのだ。
心が引き裂かれるほどの苦しみを味わいながらも、絶望で死にかけながらもジェーンは無理矢理にでも館を去った。
なぜそこまでする?正直思った。
でもここは後から考えると、非常によくできた構成でもある。

一文無し、身寄りもないジェーンは一時物乞いへと落ちぶれる。
たまたま見つけた牧師館で助けられ、そこでジェーンは回復していく。
牧師ジョンとその二人の姉妹と仲良くなり、仕事もまたできるようになる。
時々語られるのが、主人への変わらぬ激しい愛情・・・。
そしてなんと、その3兄妹はジェーンの従兄妹だったことが分かる!
嬉しい驚きと共に、ジェーンは自分に莫大な遺産が残されたことも知る。
晴れてジェーンは自立した人間、女性となることができた。
家族も手に入れた。
しかし・・・。
彼女には忘れることなど絶対にできない主人がいた。
彼への愛を封印していたその時、従兄のジョンから求婚される。
しかしその結婚には決して愛はなかった、少なくともジェーンの望む愛は。
ジョンは牧師であり、欲望という愛は諦めている身である。
彼には欲望としての愛情を抱く女性がいたが、その思いは封印したのだった。
代わりに選んだのがジェーン。
なぜならジェーンは強くたくましく、神の道を共に歩むのにもってこいの存在だったからだ。
インドへ布教の旅に出るため、ジェーンを妻として連れていき、神のもとで崇高な結婚をしたい、それがジョンの願いだった。
ジェーンは、ジョンの愛情が、ジェーンがロチェスターに抱いているそれとは全くの別物だということを知っている。
また、人を常に試すようなジョン、人にも自分にも厳しく決して対等な人間としての自由や喜びを分かち合えないようなジョンをジェーンも愛することはできなかった。
しかし熱烈なアプローチと、神の名を強く主張するジョンの説得にジェーンも心が折れそうになってしまう。
結婚を受け入れかけるのだった。

その時・・・。ジェーンは聞いた。
愛しい主人が自分の名前を呼ぶ声を・・・。
ジェーンは狂ったように叫んだ。どこにいらっしゃいますの!?と。
ここからがクライマックスでかなり劇的である。
本当に馬鹿なんだが、私は結末をあらすじで読んでしまったのでほぼ知ってしまっていた・・・。
本当に出来ることならこの記憶だけ消して、いちから読み直したいぐらいだ・・・。

ジェーンはジョンが出かけた後、どうしても会わなければならない人がいると従姉妹に告げ、かつて自分が雇われていた館へ赴いた。
そして彼女は恐ろしい事件を聞く。
ソーンフィールド館で火事が起きた、あの狂った妻がやったとされている、その妻は死亡。
また館は焼けただれ廃墟となった。
主人は館に住む人々すべてを救いだし、また狂った妻をも救おうとしたため、片腕を失い盲目となった・・・・・。
ジェーンはショックを受けたが、それと同時に、主人がまだ生きているということ、肉体的にはボロボロだが、発狂している恐れはないということを知り、いくらか安心もした。
急いでロチェスターを探しに行き、そして再会する。
主人は目が見えないので、最初ジェーンが部屋に入ってきても気付かない。
いつも世話をするメアリ夫人と思いこんでいるのだ。
しかし何か様子が違うと気付く。
そしてジェーンの指に触れた時、彼は彼女が戻ってきたことを知るのだった。
そこから一瞬で元通り、というわけではない。
心に深い傷を負った主人は最初ジェーンを信じられないし、盲目と不具となった自分がジェーンにはふさわしくないと思っている。
やがてジェーンの愛が真実であることを知り、主人はジェーンとの再会に喜びで涙する。
そして二人は結婚し、息子も生まれる。
主人は完全にではないが、少しづつ視力を、光を取り戻していった、という結末である。
長々と書いてしまったが、これがこの作品の起承転結である。

色々考えさせられる作品だ。
この作品に関しては女性の自立がどうのこうの、社会に反抗する女性だ、という文字をよく見かける。
でも私は100%はそれに賛同はしない。
確かにジェーンは自立を求めるし、かなり強くてたくましい女性である。
どこまでを尊厳を守ろうとするし、正しく生きるためには愛する人を去ることをも辞さない徹底ぶりだ。
妻がいる主人、たとえその結婚が愛のないものだと知っていても、ジェーンは自分が情婦あるいは愛人となることを絶対に許さなかった。
その時代のことはよく分からないが、1800年代では離婚も出来なかったのだろうか。

主人の愛人となり、一生その愛の蜜の歓喜の中で幸福に生きられる、その機会を捨ててでも尊厳を守りたかったジェーンとはとんでもなく強い女だと思う。
もしこのままジェーンがロチェスターを去ったまま、かつ、自立心に目覚め、愛する人を去ったジェーンは信仰心にも目覚めていくのだが、ジョンのアプローチに負けて結婚してしまったとしたら・・・?
ジェーンは一生不毛の人生を過ごしたことは間違いないであろう。
もしジョンと結婚しなかったにせよ、ジェーンは生涯で最も愛した、また最も愛してくれたロチェスターなしで、本当に幸福になれたはずはない。
だからこそ、作者は最終的にジェーンを主人のもとに戻らせたのだ。
ジェーンは財産を得、自立した女性になった、と同時に狂人の妻の死が、二人の結婚を可能にもした。
もし妻が生きていたら?どうなったのか・・・。
妻が死ぬことでしか、二人が結ばれることがなかったという結末は残酷なものではある。
しかし、その結末しか描けなかったのだろう。時代的にも。

どっちにしろジェーンが彼のもとへまた戻ったということは、ジェーンにとって彼は最も大事な存在であったからだ。
ただ不倫は悪であり、正しいことではない。
またそれを教えてくれなかった主人に対する、裏切られたという気持ちもあり、自分の存在が女奴隷のような、情婦という名のお人形さんになってしまうのではないかという恐怖もあったのだろう。
さまざまな気持ちから、また何より狂った妻がいたというあまりの衝撃もあり、ジェーンは去らざるを得なかったのだと思われる。

もし作者がジェーンの、また、すべての女性の自立と尊厳だけをテーマにしていたとしたら、ジェーンは確実に主人のもとへは戻らなかっただろう。
ジョンと崇高な信仰的な、神のための結婚をしたかもしれないし、あるいは生涯独身を貫いたとか、そのような結末にしたのではないだろうか。
ロチェスターへの思いは変わらないだろうから、他の男性と恋愛結婚するとはとても考えられない。
でもジェーンは彼のもとへ戻る。
状況は一変していた。
妻は死に、主人は盲目、片腕を失い、助けが必要になっていた・・・。
ここが作者のどういう意図なのか、はっきりと断定はできないが、深く考えさせられる部分である。

作者は女性の自立は女性のためだけではなく、女性が愛する男性のためでもあると言っているのではないかと思う。
ジェーンが自立したからこそ、助けが必要になった、言えば弱い存在となったロチェスターをしっかりと支えることができるようになっているのだ。
自立していなければ、館の主人のお人形さんのままでは、主人が突然盲目となり、片腕となった時に、支えてやれるだろうか。
そうそう簡単にはできないだろう。
愛する人間を幸せにするためには、その人によりかかっているような生き方では絶対ならないのだと、作者は言っているように思えるのだ。
だからこその最初の別離、そしてジェーンが自立を果たしてからの再会と、ロチェスターが弱い存在となっていること、そして結婚があるのではないか?と。

ロチェスターは身体的にこそ弱い存在となったが、精神的には相変わらず強くてたくましい、頼りがいのある大木のままである。
ジェーンはいわばその大木に寄り添う小さな鳥のように自分を例えている。
でも大木はその表面が傷ついていて、なんでも自分のことをできる以前のままではなくなっている、小さな鳥はその見た目こそか弱いが、内面は大きく強い、また優しく思いやりもある。
だから小さな鳥は大木の癒しともなれるし、支えとなることもできる。
自立を遂げず、ロチェスターの情婦のジェーンのままなら、それはできなかったかもしれない。

この作品の最大のテーマは真実の愛だと私は確信する。
社会への反抗心とか、女性の自立心とか、神への信仰心、それもあるだろうが、それだけでは女性も男性も幸せにはなれないってブロンテは言っていると思えてならない。
それらはすべて、真実の愛をつかむために必要な手段であって目的ではない。
本当の目的はただ一つ、愛する人とともに幸福になることなのだ。
そのためには、家で主人に可愛がられるお人形のままではいけないのだということ、それを作者は言っているのでは?と。
フェミニズム作品だとはとても思えなかった。

まあこれは私の解釈であり、読む人それぞれが別の解釈を持ってこの本を読むのだろう。

なぜこの作品に私はここまで感動したのか?
ジェーンとロチェスターの愛が本当に素晴らしいからである。
ジェーンの全くぶれない、時にはぶれなさ過ぎて強すぎてついていけないぐらいだが、芯の強さ、ここに私は共感もしたし、憧れもした。
本当にジェーンはまっすぐである。

そしてロチェスターだが、いかつくて、醜男とまでは言わんが、ハンサムとはとても言えない容姿、でも強くてたくましくて、でも気難しくて謎だらけでよくわからない。
でも繊細で優しい一面もあり、なにより人間らしくて・・・と彼の魅力をあげだしたらきりがない・・・

まっすぐな女性であるジェーンは決して美人ではなく、スタイルも良くなく、地味で、地位も名誉も財産もなく、ないないだらけの娘である。
ただ誇り高く、素直でありのままに生きる芯の強さに、ロチェスターはぞっこんはまってしまった。
ジェーンはジェーンで、孤児として虐げられた幼少時代、学校でも厳しく育てられ、生涯孤独で誰からも愛された経験がなかったが、ロチェスター氏の気難しくはあるけれど、優しい包み込むような大きさに惹かれていったのである。
こんな恋愛があるなんてね・・・。
今まで、文学作品を通して、恋愛って素晴らしい!と思えたことが、まあ、驚くほどになかった。
やっと、恋愛って素晴らしい!と思える作品に出会えた。

この作品の中で好きな場面やら台詞は五万とあるが、特に好きなものから一つ。

「愛しきっている者のためには、悪の手先となることをも、けっしてわたしのように恐れたりなさらぬように!」

これはジェーンが、主人への抑えきれぬ愛を無理矢理にでも抑えて、ソーンフィールドから去った後に、読者に語る言葉だ。
結婚式当日、ロチェスターには妻がいたことを知り、その衝撃から館を去ることに決めたジェーン。
ここの悪の手先とは、私の解釈では、重婚という罪のこと?かと思うのだが。
ジェーンは主人への愛が冷めたわけではもちろんなかった。
ただ相手には妻がおり、自分は妻になることができない、いやなるとしたらそれは罪だ、でなければ自分は単なる愛人か?それは自身の尊厳に関わる問題だ。
だからその罪を犯すことが怖かった、恐ろしかったのだろうか。
でも愛しきっているのならば、その罪を犯すことさえ恐れるべきではなかったと、そう言っているのでは。
なんてすごい言葉だろうと思う。
ジェーンのこの激しさが本当に好きである。
地味で大人しいのだが、実は心は誰にも止められないぐらいの炎がメラメラ燃えていて、激しくてでもまっすぐで・・・。
あと、もうあげだしたら止まらないが、ジェーンに捨てられて、というか去られて、もぬけの殻になったロチェスターだけど、ジェーンが戻ってきたときに本当に心から喜んで、喜びと幸福とそれまでの苦悩とで涙して、でもジェーンのこと全く恨みもしなければ、怒ることもない。
この主人の絶対的なジェーンへの愛にも感動。
もちろんジェーンの愛も絶対変わらなかったわけだが。
激しい苦悩と孤独から、きっとロチェスター氏は狂ったように彼女の名を呼んだのだろう。
その魂の叫びがジェーンに届いたっていう場面も好きである。

カナダでかつてのルームメイトが一番好きな本は何かと聞いたときに、この作品を教えてくれたのだったけど、その理由が今やっとわかった。
その時は、へえ、女の子らしいのが好きなんだな~と、でもきっと私は好きになるようなタイプの本じゃないな〜と思ってた。
いや、、、想像だにしない作品だったからびっくりしている。
わからないものだ、人生って。
本当にこの作品に出会えてよかった!
ありがとうございます。
Viva!! Charlotte Brontë!!!!!

ジェーン・エア (上) (新潮文庫)

ジェーン・エア (上) (新潮文庫)

Jane Eyre (Penguin Classics)

Jane Eyre (Penguin Classics)